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■後集2項

釣水逸事也、尚持生殺之柄。
奕棋清戯也、且動戦争之心。
可見、喜事不如省事之為適、多能不若無能之全真。

水(みず)に釣(つ)るは逸事(いつじ)なるも、尚(な)お生殺(せいさつ)の柄(へい)を持(じ)す。
奕棋(えきき)は清戯(せいぎ)なるも、且(か)つ戦争(せんそう)の心(こころ)を動(うご)かす。
見(み)るべし、事(こと)を喜(よろこ)ぶは事(こと)を省(はぶ)くに適(てき)為(た)るに如(し)かず、多能(たのう)は無能(むのう)の真(しん)を全(まっと)うするに若(し)かざることを。

魚釣りは、浮世離れの趣があるというが、それでも未だ殺生に関わる俗世間の力関係を残している。
囲碁は上品なゲームだが、それでも勝負の結果に心が動く。
このようなことから考えると、何事かを楽しむ事は、何もしない事には及ばないし、有能で多才であることは、何の能力もなく人間本来の生き方を全うする方が良い。
つまり、釣りだ囲碁だと一見すると隠居三昧の生活を楽しんでいるようだが、内心は現役時代の勝ち負けの心が動き続けているのは、多才が故に忙しく心を磨り減らして働き続けていたようなもので、無芸大食を満喫している方が人間本来の生き方なのではないだろうか。
言い換えれば、隠居生活には十分な時間や経済的余裕があれば良いのではなく、何も出来ないことに価値が出てくるのではないだろうか。
翻って言えば、達人は、現役時代に悟りの境地に達していないと退職しても生臭さが消えないのかもしれない。
慧智(030707)