■前集146項
一燈蛍然、万籟無声。
此吾人初入宴寂時也。
暁夢初醒、群動未起。
此吾人初出混沌処也。
乗此而一念廻光、烱然返照、始知耳目口鼻皆桎梏、而情欲嗜好悉機械矣。
一燈蛍然(いっとうけいぜん)として、万籟(ばんらい)声無し。
此れ吾人(ごじん)初めて宴寂(えんじゃく)に入(い)るの時なり。
暁夢(ぎょうむ)初めて醒め、群動(ぐんどう)未(いま)だ起こらず。
此れ吾人初めて混沌を出ずる処なり。
此れに乗じて一念光りを廻らし、烱然(けいぜん)として返照(へんしょう)せば、
始めて耳目口鼻、皆、桎梏(しつこく)にして、情欲嗜好(じょうよくしこう)は悉(ことごと)く機械たるを知る。
夜は更(ふ)け、明かりも消えかかる時、全ての物音が途絶える。
この時、私は初めて坐禅をして心身とも静かに安定し真理を探究する。
夜が明けつつも、未だに万物は動き出さない。
この時、私は初めて混沌から抜け出す。
このような状態で私は智慧を廻らせ、自分の本性を反省しつつ真実を探求すれば、感覚器官の全ては本来の心(仏心)を束縛する足かせで、煩悩(物欲・情欲)が仏心を操り惑わす仕組みであることが解る。
つまり、深夜に一人、独坐すれば、自分の本来の心と対話ができ、日常の雑多な情報こそが、煩悩を操る「魔」であることが解り、一見では価値がある情報も、仏心(自分本来の心)の活動を妨害していると体現できる。
言い換えれば、活人たる者、時に一人静かに坐禅をしないと日常の雑音に振り回される下世話な人間に成り下がってしまいますよ、ということだ。
慧智(030623)